脱走計画

弁護士の勧めで警察にもいった。

義姉に鍵を返してといっても返してくれず、いつ家に入ってくるかの恐怖がある、と。

身内の問題なので警察が動いてくれるわけではないが、相談したという証拠になるためいったほうがいいといわれた。

警察にいき、今の状況を話した。

警察としてはやはり身内の問題なので動けないが、鍵を持って行かれて休まらないのはわかるので、間に入って義姉に話をしてあげるといってくれた。

その場で義姉に電話してくれたが出ず。

あとでかけとくね、ってことで後日報告をしてくれた。

 

あの人は無理だと。

警察相手にいかに自分がかわいそうか、私達夫婦が悪いかをギャンギャンしゃべったらしい。

警察の方に力になれなくてごめんといわれた。

いえいえ、ありがとうございました。

 

やはり警察相手にそんなギャンギャン言える義姉がくる家に住み続けるのは辛いから家をでたいと説得。

旦那もさすがの私の意見に傾いてきてくれた。

 

弁護士に相談してきてたが、正式に遺産相続問題で戦っていただくことにした。

ちょうどその時、同じ町内で新築が売りに出されたよと友達からの情報!

まだ建て途中だったが見に行って1週間。買う事に決めた。

家探し、殆どせずに1週間で何千万の買い物を決めた。

でもそれくら切羽詰まったいた。

むしろ同じ町内で学区もかわらず家が売りにでたことは、神様が買えっていってるってことでしょう!ぐらいに思った。

が、家ができるのは3ヶ月後。

3か月は今の家に住み続けなければならない。我慢の3ヶ月だった。

旦那の葛藤

なぜ義兄弟に私達夫婦が嫌われていたのか。

その原因は姑にある。

とにかく姑は、女王様気質、自分が一番!なんでも自分が知ってたい!人を蹴落として自分を上に見せたい!人だった。

孫をけなして自分がいかに出来る人間かを語る様な人だった。

おっとりときつい事をさらっといえる人だった。

義兄、義姉がうちに遊びにきて帰ったあと、悪口を私達にずっと言っていた。

だから同じように私達と顔を合わせたあと、義兄、義姉に私達の悪口を電話などで言っていたんだと思う。

同居してるから毎日顔を合わせていたため、かなりの量の悪口、いえ、いかに自分がかわいそうかを義兄弟に語っていたのだろう。

その中には、遅くしてできたかわいい末っ子旦那が私にとられた!むかつく!って思いも含まれていたようだ。

だから義兄弟から私達夫婦を自分の母を苦しめた人達と認識していたらしい。

 

たしかに姑と私は仲がよいわけではなかった。が、喧嘩も特にしたことがない。

本当に顔も見たくないほど嫌いなら15年も同居してないでしょうよ、姑も。

でも姑の洗脳によって義兄弟は私達を嫌がらせすることにしたようでした。

 

 

とにかくこの状況が旦那の精神面にもよいわけではないのは目に見えていた。

すぐに弁護士を探して間にいれることにした。

弁護士に相談したところ、

・家をでていく必要はない

・家賃を渡す必要はない

と教えてくれた。

が、近所に住む義姉が

「今から仏壇拝みにいくから。家賃用意しといて。」

と連絡がくるようになった。顔を合わせるのがイヤで外へ逃亡。

義姉は介護の時に姑の荷物をとりにくる用という名目で家の鍵を持っていっていた。

その鍵で自由に出入りできる。一応最後の常識的(?)に来る前にメールはくれていたのだがいつくるかわからない義姉におびえて暮らす日々だった。

それにすごく疲れてきた。

 

旦那と話しあった。

そこまでしてこの家がほしいかと。

もともと旦那は次男でこの家を出るべき人間だったんだから、もう家をでてもいいのでは?

同居までしてこの状況に耐えられない。

私はこの家がほしいわけではないし、この家を出たいと。

 

旦那は大学の4年間以外ずっと実家に住んでいたため、すごくその土地に愛着があった。

「家族」が大好きだったから、「家」をまもっていくことにすごくこだわっていた。

長男が家や仏壇の面倒をみないのなら自分が見ていきたいといつもいっていた。

 

だからすぐこの家を捨ててでていこう!とは言えないけれど、こんな状況になってちょっとは家をでようか考えたようだった。

遺産話し合いハジマリ

私が実家でのほほんとしていたころ、義兄、義姉、旦那の遺産についての話し合いが始まりました。

 

簡単にまとめると

 

・今住んでるこの家がほしいなら、7周忌ぐらいまで一切義両親が住んでいた一階を触るな

・で、自分たちがいつ泊まりにきてもいいようにしておけ

・庭もいじるな。このままを維持していけ

・仏壇をずっと守っていけ

・将来は子供(女3人のうち)誰かに養子をとらせて仏壇をまもらせろ

・これらを紙に書いて誓約書として渡せ

というはぁ??な話から始まり、旦那はずっと義兄を〇〇君と昔から呼んでいるのだが

・〇〇君とはなんだ!年上にむかって!敬え!!(怒)

と関係ない話がヒートアップ。

そして最終的には

・今住んでいる家に住み続けたいなら自分たちは家賃を払え

・遺産がいくらあるかはうちらにまかせておけばいい。おまえには教えない。

・義両親はおまえらと同居しててかわいそうだった。

ときた。ちなみに義姉は「うんうん。その通りだ。」といっていた。

 

旦那は「今まで同居して面倒をみてくれてありがとう」とくるものだと思ってたから、もうびっくりして何も言い返せなかったらしい。

私も旦那から聞いた時びっくりした。

私が結婚してから義兄、1年に1度くるかどうかだったよね?仏壇なんて拝んだことなかったよね?むしろ長男だから仏壇守ってくのあなただよね?義兄のところ長男いるからその子跡継ぎだよね?確かにこの家はあなたたちの実家だけど途中で建て直して義兄も義姉も住んだこともないよね?庭の草取りも毎回私がしてたよ?で、家賃を払えって意味おかしくね?なんで勝手に遺産管理しようとしてるの?一年に1度来るかどうかの人に同居15年もさせといて文句言われる筋合いなくね??介護も全部とはいわないけど私と旦那が一番手伝ったよね?

好きで15年も同居してたわけじゃねーよ!!

私も怒りで言葉がでなかった。

さすがの旦那も大好きな義兄姉にそんなこといわれると思ってなくてへこんだ。

 

旦那は「家族」をすごく大事にする人だ。

でも旦那のいう家族は、自分の両親、兄弟。

私と子供より、自分の「家族」が大事な人だった。でもそれは長年一緒に暮らしていたっていうのがあるからまぁしょうがないかなって思ってた。

私が同居が辛いからやめたいっていっても、親や兄弟に顔向けできないって同居を解消してくれなかった。

その「家族」に裏切られたのは旦那はすごくつらかったようだ。

さて、私のターンだ!

49日

義兄が49日に兄弟家族みんなで集まろうといいだした。

 

義父が亡くなった時は葬式以外49日も1周忌もやらなかった姑や義兄弟。

不憫に思った旦那と私達家族だけでお寺さんにお経だけあげてもらいに行きましたが、姑は良い顔してなかった・・。

そんな義兄弟が姑の49日はやるんだーと驚き。

 

が、集まって仏壇に皆手を合わせただけ。和尚さんもお経もナシ。

その後義父、義母のそれぞれの両親のお墓参りもしましたが、お花や線香も義兄弟は持って来ず、渡した全部用意させていただきました。

うちの子たちがお墓より高い位置から拝むのはよろしくないということでしゃがんでお参りしているうしろで義兄弟家族は立ったまま手を合わせていましたよ。

そして義兄がポツリ。

「もう二度とこの墓にはこないだろうなぁ」

いえいえ、あなた私が結婚した後、一度も墓参りしてるところ見てないですけど?

ほんと先祖を蔑ろにする義兄弟だなぁと。

そんな中なんで旦那だけむしろ先祖大事!!墓参り大事!!になっているのか超謎です。

 

その後、義兄はうちに泊まり次の日から遺産について話し合うことになっていました。

私はなんだか居づらいってことで実家に逃亡。

ここから遺産相続争いが始まるのでした。

春一番

木の芽時ってよく言うけど…

最近LINEが面倒なの増えたわ。

大の大人が不毛な恋の悩みをグダグタ送ってきたり、彼氏の全裸写真がなんちゃら〜なんてくっそ気持ち悪いノロケ?が送られてくるわけですよ。なんなの?嫌がらせされてるの??

 

恋の悩みやノロケが可愛いのって若いうちだけなんだわ〜、大人も恋するべきだけど目の前の人間の眉間にシワが寄ってる事に先ず気付こう?ってそんな生暖かい目でスマホを見つめながらLINEを非通知設定に変える。。

葬式後一カ月

葬式が終わった後、定期的に義姉が家に通い出した。

二世帯同居とはいえ、私達世帯に鍵が付いているわけではないので礼儀として義姉から今からいくから。の連絡はきていた。

が、別に私に立ち会ってほしいわけでも線香をあげにきているわけでもない。

 

遺産分けするための財産を探す。という名目で家探ししにきているのだ。

一度「手伝いましょうか?」と声をかけたが速攻断られた。

嫁の私には義両親の財産を触らせたくない&知られたくない ということだろう。

さすが、俺のものは俺のもの。お前のものも俺のもの。的だった姑の娘さんだ。

 

あとから分かった事だが、通帳は全部義姉がもっていっていた。

金属類も義姉がもっていっていた。

着物もどれだけかわからないがもっていっていた。

 

旦那がいるときは一緒に家探しを手伝ったが本当にいろんなものが出てきた。

キューピー人形5体。

封もあけてないクリスマスツリー3本。

留め糸もはずしていない着物が何十着。

兎に角新品で何十年前かもわからないようなものがゴロゴロでてきた。

そして喪服の着物も何十着かでてきた。

しかも全部家紋が違う。ちなみにうちの家紋の着物は一着だけだった。

誰かのをもらってきたんでしょうね、さすが姑。

 

形見分けするから。。と家探ししている義姉ですが、

肝心の遺産についてどうするのか?というこちらの問いに対しては49日過ぎてから考えよう。とのこと。

姑がいなくなり気楽にはなりましたが落ち着かない毎日でした。

義両親との別れ

同居暦13年。

姑が突然病気を発症し亡くなった。

闘病生活3ヶ月。

 

とても珍しい病気で、病気が発症したとき医師に

「何の病気かわからないけれど、どの病気にしろよくなることはない。

余命1ヶ月だと思ってください。」

といわれたが、3ヶ月もった。

 

地下鉄の階段が全部登れると自慢の姑。

よんでもいない運動会や入学式にちゃっかり潜り込む姑。

私達世帯のタンスやごみ箱の中まで把握しようとする姑。

 

そんな元気な人だったが、あっという間だった。

 

葬式の日、同居していたにもかかわらず私達は葬式の段取りも教えられず、

一般客がくる時間と同じ時間にくるように義兄義姉にいわれた。

といっても一般客は一切呼ばない個人葬

この土地に50年以上住んでいるのだから呼ばないにしろ町内にはお知らせさせてと旦那が頼み込んで、しぶしぶ町内のお知らせだけは許してもらえた。

兄弟3家族だけの葬式で、嫁にいった義姉家族より私達家族が後のお焼香だった。

葬式代もいくらかかったとか、グレードはどれくらいだとか、何も相談も報告もない葬式だった。

 

3ヶ月の介護生活のもめたけど、本当の闘いはそこから始まったのだ。